- 2007-10-15 (月)
1997年、僕が日高で玉砕されているとき、中嶋オヤジは初めてのシックスデイズイタリア大会(あのルメッザーネが会場!)でシルバーメダルをゲットしました。僕はその後、ただひたすらバイクに乗る日々。もちろん結婚もしていたし、長男も産まれたばかりでしたがもう誰も僕を止めることはできませんでした。
ほとんどの週末の土日、池ノ平へ一人で練習に行き、1日8時間走り続けることを約3年。毎日ランニングを10キロ。運動しすぎて体重が64キロ(今は74キロ)まで落ちてしまいましたが、やっと自分の納得できるライディングができるようになってきました。2000年、出場するか迷いましたが仕事の都合が付かず、中嶋オヤジのサポートとしてスペイングラナダ大会へ行きました。素晴らしいロケーション。素晴らしいライディングテクニック。素晴らしいレースの運営。全てが完璧でした。でも、僕の心の中は「なんで、俺が走ってない?なんで、俺がこっち側(見る側)なんだ?」というフラストレーションで爆発しそうでした。去年のヤスオミもきっと同じだったんじゃないかな?「次に来るときは必ずあっち側だ。」と心に決めました。
2001年も仕事の都合が付かず、2002年ついに俺の出番がやってきました。チェコ大会、山間部が中心のヤブロネッツナドニソウという町で開催されました。この年はヨーロッパを巨大低気圧が襲い、チェコの首都プラハも大打撃を受け、町中相当な被害を受けていました。日本からの出場選手もかなり多く、藤原さん、イト先輩、畑さん、博田ちゃん、菊池プロ、ミカちゃん、コスの7名が挑みました。僕は気負いすぎ、直前の池ノ平の練習で右人差し指を骨折&練習しすぎで体調を崩したんぱく質アレルギーになったままのチェコ入りでした。
波乱は突然やってきました。練習走行にみんなで行ったときのことでした。周りは、デビットナイト、ロマンミカリック、ミカアオラ、ポールエドモンドソン、ユハサルミネン。もう完全に浮き足立っていました。俺がこの場にいてもいいのか?この人たちと一緒に走っていいのか?頭が混乱したままその日の練習走行はいつの間にか終わり、いつの間にかホテルに着いていました。部屋に入ってウェストバックを外そうと腰に手を回すと・・・ない・・・パスポート、車検に必要な全ての書類が入ったウェストバックがない・・・猛スピードで練習コースへ車を走らせ、日が暮れるまで探したけど見つからず、途方にくれて大会本部へ。でもやっぱり届けられてなくて、恐る恐る「書類がないとやっぱり走らせてくれない?」と聞くと、「それは無理だよ。出てくるのを祈ろう。」と言われ、頭が真っ白になりました。俺はスタートする前にリタイヤか?頭の中でグルグル「リタイヤ」の文字が回りだしました。どれだけそこで待ったでしょう。薄暗い大会本部の体育館にやけに背のでかい男が入ってきました。見覚えのあるウェストバックと一緒に。そいつに飛びついて「ありがとう!ありがとう!」と言って顔を見ると、ゲゲッ!ミカリックじゃねぇか。
あぁ神様、仏様、ミカリック様。波乱のチェコ大会はまだ続く。