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第1回 藤原コラム

  • 2007-08-28 (火)

西山さんがISDEに挑戦していたのは30年ぐらい前だったのかな、その記事を読んでいたのは、僕が高1の頃。

当時は50cc90cc125cc175cc250cc500cc???のクラスがあったような記憶があります。
原付免許しか持っていない僕は、50ccならチャンスがある!!なんて、夢を膨らませていた。本当にありえない夢の夢を想い描いていた。その頃はミニエンデューロが盛んで、ショップのオーナーに連れられて、ヤマハのミニトレ(モノクロスサス)でレースに参加し、同時にトライアルもやっていた。当時、トライアルのライバルが、今はスタッフで協力いただいている、Dr510の後藤氏である。話はしたことは無かったけど、ふてぶてしいやつって印象がある(体つきがそうさせる)そんな高校時代を過ごし、社会人へ。モータースポーツ施設、SUGOがあるから、仙台を就職先に選んだ。(今はそのSUGOの社員になっちゃった)
親友3人で、日産、三菱、トヨタの3社へ勝手に割り振って就職を決めた。僕はトヨタの整備士である。それからも毎週のようにトライアルかミニエンデューロに出場した。仙台に移ってからは、チームも仙台のチームに移り活動。モトクロスも盛んなチームで、先輩から、お前はトライアルよりもスピード感があるからモトクロスをやったほうがいいんじゃない??の一言で、MXに転向。
遅いスタートだが、20歳からMXをやり始めた。
21歳で全日本MXデビュー。当時は今のNBクラスから全日本があって、東北と北海道大会に出場した。
その前に、地方大会で優勝し、ホンダからのオファーで契約ライダーとして走り始めた。出場すれば、優勝していた。
当時SHOEI仙台営業所にMX好きの所長が居て、ショールームオープンと同時に転職し、SHOEIの社員となった。広瀬川の河川敷にMXコースがあって、毎日のように、朝練で5時から7時まで走っては出勤していた。
早朝だったため、音がうるさいと苦情が警察に入り、パトカーがやってくることしばしば。
“走っても良いんですが、早朝すぎるので、せめて8時ぐらいからにしてくれませんか”と警察官。そんなコトもあったな~。
そんな日々を過ごし、IBに昇格した。サラリーマンライダーとして全日本を転戦するが、常勝だった僕は、表彰台に上がるのが使命だったようで、周囲からは入賞しないと、元気が無いね~などと言われ、バイクがつまらなくなった時代を過ごす。嫌々バイクに乗っていた。今では考えられない苦痛な日々だった。
一緒に練習していた連中は全員IAに昇格し、僕だけIBに取り残された。人に合うのも嫌になった。
それから数年、悔いの無いようにモトクロスを辞めたくて、本気でトレーニングをし、IAを目指した。会社を年の半分は休んで取り組んだ。給料も半分で。
体も出来てきて、雨が降れば表彰台に上がっていた。そしてIA昇格。
翌年からは会社からもプロ扱いで、出張でレースに出れるようになった。もちろん、ヘルメットの開発もやった。
2年間、IAで走ってMXを辞めた。MXを始めて10年で区切りよく辞めた。
これからは楽しんでバイクライフを送りたくて、トレール車を購入した。
1993年だったかな?91年??HTDE(日高)へ、出場だ。これから僕のエンデューロライフが始まりだ。
僕の基盤となっているのは、高校時代のトライアルと社会人になってからのMX。そして日高だ。

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